渡辺豪

「光差 -境面Ⅲ-」

2017年1月21日 - 2月25日

オープニングレセプション: 2017年1月21日 (土) 18:00 - 20:00


新春の候、皆様におかれましては益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。

URANOでは1月21日から2月25日まで、渡辺豪個展「光差 -境面Ⅲ-」を開催いたします。


渡辺豪(1975年兵庫県生まれ)は、人の顔や身の回りの食器や本、部屋などの身近なモチーフを3DCGを用いてモデリングし、その表面に実際の写真を貼り付けたプリントやアニメーションを制作しています。展示タイトルに用いられている「境面」とは境 (border) と面 (face) を合わせた作家による造語であり、存在する表面と物質の不在とが合わさったどちらにも属さない領域を表します。2007年の「境面」、2011年の「lightedge - 境面 II -」に続き(いずれもARATANIURANO)、3回目となる今回は時間や素材、場所によって移ろい行く光に焦点を当てています。


近年の主な活動として、「コズミック・トラベラーズ - 未知への旅」(2012年、エスパスルイ・ヴィトン東京)、「カルペ・ディエム 花として今日を生きる」(2012年、豊田市美術館)、「あいちトリエンナーレ 2013」(2013年) にてそれぞれ新作アニメーションを発表し、2013年に第24回五島記念文化賞美術部門新人賞を受賞後、約1 年間フィンランドでの海外研修を経験しました。その後、The APB Foundation Signature Art Prize 2014 のファイナリストに選出されシンガポール美術館にて作品が展示され、スイスとポーランド、ドイツを巡回した国際交流基金によるグループ展「ロジカル・エモーション - 日本現代美術」へ参加するなど、国内外を問わない活躍をみせています。


今回の個展では2016年に愛知県立芸術大学構内で行われたグループ展「芸術は森からはじまる」において発表した映像インスタレーション「本と床と22個の光 ( 愛知県立芸術大学図書館棟書庫)」を中心に、アニメーションとプリントの新作約10点を展示いたします。


現代社会の情報化はとどまるところを知らず、必要な情報ですら目にした次の瞬間に過ぎ去って行きます。その速度は時として人類の思考を曇らせ、生命をも脅かすと言っても過言ではありません。渡辺の作品の持つ「境面」への回帰と緩やかな運動には、私たちをもう一度思考の瀬に立たせ、自らが何を見ているのかを認識させようとする、静かなエネルギーを見ることができるでしょう。


展覧会タイトルの<光差>は時差を基にした造語で、時差の「時」の部分を「光」に置き換えたものです (天文学の分野で同じ単語がありますがここでは全く関係ありません)。時差が地球をひとつの纏まりとしてみる中で、太陽との位置関係から国や地域の時間を分けて、それらを同時的に繋いだときに起こる時刻間のずれを表わすのと同様に、光差は目の前に広がる風景をひとつの纏まりとしてみる中で、景色を形づくる光=ものが部分に分割され、それぞれ全く異なる時間性や明度をもって変化している状態を表しています。

作品を通して私はこれまで、自分自身が見ているものの位置、場所について考えてきました。’フェイス’シリーズ (2002 - 2009)では<顔>が在る場所について。すなわち、<顔>は自分自身の視線の向こう側 (対象の位置) なのか自分自身が想像する領内 (主観の位置) なのか、について考え、それは「どちらでもない場所」としての境界=境面に位置しているのではないか、という問いかけをおこないました。"lightedge -境面II- " (2011年, ARATANIURANO) で発表した’GH302’ (2011) や’The Tower of Books’ (2010) では、この境面を<顔>から生活する場所へと展開させて、身の回りのものが在る位置について、測量法的な方法によって捉えるのではなく、自分とそれぞれのものとの間にある独自の距離性に基づいて捉えることを試みました。そしてエスパス・ルイヴィトン東京での’<ひとつの景色>をめぐる旅’ (2011)、あいちトリエンナーレ2013の’ひとつの場所、あるいは<部屋>のうえで’ (2013) においては、自分自身と身の回りのものとの関係を、<私>というひとつの目から複数の目へと拡げ、複数の目とそれらの視線の先に共有されている<ひとつの風景>について再構成と問いかけを行いました。


これらの作品では、モチーフと自分自身また複数の眼差しとの位置関係ないし距離関係をみていたのですが、そもそもモチーフが表れ、目との関係を築くためには光が必要です。それは光によって目に見えるようになる、という極めて単純な事実のことで、境面とは光によって、あるいは光を含むことで表われている、ということです。この単純な事実について以前から気になっていましたが、最近制作の中で大きなウエイトを占めるようになってきました。なぜなら光は風景を認識させる手段であり、認識そのものでもあるからです。風景を表わす、あるいは風景そのものである光は、太陽に代表される単一光源からのみもたらされるわけではありません。実際にはさまざまな場所に光は存在しており、室内に灯されるランプや街灯などのいわゆる照明はもちろんのこと、ネオンサインのようにそれ自体が記号的な意味を持って輝いているものもあります。あるいは、外を走る車のライトが窓から室内に差し込み、室内を切り取るように新しい光がそこに加わることもあります。また、今こうしてテキストを書いているラップトップの画面も光であり、こうしたデバイスから流れ出る光は単に光学的なものというだけではなく、その発光する場所に情報を与え、空間を繋いで、さまざまな関係性や影響力といったものも浸透させています。このように目の前に拡がっている風景は、さまざまな光のポリフォニックな係わり合いの中にあり、複数の目によって<ひとつの風景>の見え方が変わるように、光の数とその出来、性質とともに変化しています。

「光によって目に見えるようになる、という極めて単純な事実」を探ることは、目に見える風景が光によってどのような風景になっているのか、について考えることです。


渡辺 豪

  • 本と床と22個の光 (愛知県立芸術大学図書館棟書庫)

    本と床と22個の光 (愛知県立芸術大学図書館棟書庫)

    2016年 / 10 min. 48 sec. / アニメーション / *ダブルチャンネル